先日の活動@東北、気仙沼にて。
震災から二年と七カ月。
その日…10月11日(金)の夜、夜行バスで新宿を出発、⇒ 13日(日)夜行バスに乗り、帰ってきました。
行き先は、気仙沼。
もう、何回目になるのだろう。
今回は二組に分かれて。
当日、数時間、出発時間がずれながらの、先発隊と後発隊。
現地で合流して。
がっつり活動、というよりは、できる(場所・移動の問題などの中、限られた)時間でギュギュッと。
なので、こんなカンジになります。 赤ちゃんと遊ぶBちゃん(^-^)
レイキをするYちゃん(^-^)
マッサージをするプロのマッサージ&鍼灸師のYさん(^-^)
ヨガ&ほぐし体操をするワタシ。。。(^-^)
この写真を撮っている、ゆるゆる的存在、Iちゃん(^-^)
部屋の後ろでクリスタルボウルのやさしい音色を奏でているAちゃん(^-^)
この仮設の集会所を利用する許可や予定の案配を施してくれるM♂さん(^-^)
その時、その時の状況に合わせて、ギュッとまとまり、ゆるゆるっとできるところはゆるゆる過ごす。
小さな活動ですが、みんなとの意思疎通も何度も何度もフェイスブックなどを通してSNSにて打合せを重ね、みんなで決めながら当日を迎えます。おかげさまで数を重ねた分だけ、それらは精査されていきスムースに活動は進みます。
美しい夕焼け。 大谷海岸の道の駅にて。
❤気仙沼。まぐろのユッケ、まぐろのカルパッチョ❤
翌朝。日課としている祈りを、気仙沼で捧げる朝。 別の行事があり、とても忙しい中『眠くって二度寝したんだげども、アンタ達のこともすごく大事だがら、
やっぱり起きで作ったのさー。食べてけれ。手に入ったマッタケだけど、一本しがながったがら、薄味にしてあるょ』
今まで食べたどのおにぎりよりも美味しかった❤Yさん、ごちそうさまでした!
南町紫市場へ移動、仮設店舗の向かい合う広場で、クリスタルボウルの響きと、脳とカラダの体操と。
体感温度は10℃くらい。風がビュービュー、日陰で寒かったけれど、ボウルの音色が優しく響き渡った癒やしの時間デシタ。
そこにはある種の覚悟があります。
時間も労力も、実際には交通費も食費もすべてを自腹で費やすわけです。
といっても、私自身は最近では3ヶ月に一度ほどのペースでの訪問であり、
世の中にはもっともっと覚悟を決めている人がいるのですが、その頻度の多少や活動の有無がどうとか、言う問題ではなく
行きたくても本当に行けない事情を抱えている方々も世間にはたくさん居ると思うのです。(実際に耳にします)
そんな(状態であっても)誰もができること…
それは。
忘れない。
寄り添う。実際に行って寄り添う事が出来なくても、心を添わせる。
想いを馳せる。祈る。
ことではないでしょうか。
忘れない、寄り添う、祈ること…が、被災をされた方々、今もなお、仮設暮らしを強いられている方々への、なんらかの救いになれば、いや、救いなど、そんな言葉ではおこがましいし、薄っぺらく、実情はもっと深刻である人、地域も、まだまだあるのは承知ですが、あえてそれでも、私達にできることとして、忘れない、想いを馳せる、祈る、ということが、なんらかのチカラになると信じます。
だから、まだ。
行くのだと思います。
まだまだボランティアを続けている人も数多くいらっしゃいます。私の活動の度合いなど比にならないほどに頻度も多く、自己犠牲を払うギリギリまで身を粉にして活動している方も知っています。
それがイイとか悪いとか、スゴイとかすごくない、とか比べたり、判断したりすることではありません。
それぞれに、自分の納得のいく、歩幅で、「(要らないと言われるまで)続ける」のだろう、
そう思います。
寄り添うということは、一方的な行為、ではなくて、互いに想いを馳せ、必要としあう、(依存とは違う、という見定めはくれぐれも必要だと思うけれど)共存のようなものではないかと感じます。
心が向く限り、足がそちらに向く限り、自分の環境が許すかぎり
自分のペースで、これからもゆるゆると気長に
復興に向けてのすべての笑顔が戻る時まで、それは続くのかな…。
この刹那、すべてに感謝をして。
ただ、ただ、ありがとうございます
その日…10月11日(金)の夜、夜行バスで新宿を出発、⇒ 13日(日)夜行バスに乗り、帰ってきました。
行き先は、気仙沼。
もう、何回目になるのだろう。
今回は二組に分かれて。
当日、数時間、出発時間がずれながらの、先発隊と後発隊。
現地で合流して。
がっつり活動、というよりは、できる(場所・移動の問題などの中、限られた)時間でギュギュッと。
なので、こんなカンジになります。
レイキをするYちゃん(^-^)
マッサージをするプロのマッサージ&鍼灸師のYさん(^-^)
ヨガ&ほぐし体操をするワタシ。。。(^-^)
この写真を撮っている、ゆるゆる的存在、Iちゃん(^-^)
部屋の後ろでクリスタルボウルのやさしい音色を奏でているAちゃん(^-^)
その時、その時の状況に合わせて、ギュッとまとまり、ゆるゆるっとできるところはゆるゆる過ごす。
小さな活動ですが、みんなとの意思疎通も何度も何度もフェイスブックなどを通してSNSにて打合せを重ね、みんなで決めながら当日を迎えます。おかげさまで数を重ねた分だけ、それらは精査されていきスムースに活動は進みます。
やっぱり起きで作ったのさー。食べてけれ。手に入ったマッタケだけど、一本しがながったがら、薄味にしてあるょ』
今まで食べたどのおにぎりよりも美味しかった❤Yさん、ごちそうさまでした!
体感温度は10℃くらい。風がビュービュー、日陰で寒かったけれど、ボウルの音色が優しく響き渡った癒やしの時間デシタ。
そこにはある種の覚悟があります。
時間も労力も、実際には交通費も食費もすべてを自腹で費やすわけです。
といっても、私自身は最近では3ヶ月に一度ほどのペースでの訪問であり、
世の中にはもっともっと覚悟を決めている人がいるのですが、その頻度の多少や活動の有無がどうとか、言う問題ではなく
行きたくても本当に行けない事情を抱えている方々も世間にはたくさん居ると思うのです。(実際に耳にします)
そんな(状態であっても)誰もができること…
それは。
忘れない。
寄り添う。実際に行って寄り添う事が出来なくても、心を添わせる。
想いを馳せる。祈る。
ことではないでしょうか。
忘れない、寄り添う、祈ること…が、被災をされた方々、今もなお、仮設暮らしを強いられている方々への、なんらかの救いになれば、いや、救いなど、そんな言葉ではおこがましいし、薄っぺらく、実情はもっと深刻である人、地域も、まだまだあるのは承知ですが、あえてそれでも、私達にできることとして、忘れない、想いを馳せる、祈る、ということが、なんらかのチカラになると信じます。
だから、まだ。
行くのだと思います。
まだまだボランティアを続けている人も数多くいらっしゃいます。私の活動の度合いなど比にならないほどに頻度も多く、自己犠牲を払うギリギリまで身を粉にして活動している方も知っています。
それがイイとか悪いとか、スゴイとかすごくない、とか比べたり、判断したりすることではありません。
それぞれに、自分の納得のいく、歩幅で、「(要らないと言われるまで)続ける」のだろう、
そう思います。
寄り添うということは、一方的な行為、ではなくて、互いに想いを馳せ、必要としあう、(依存とは違う、という見定めはくれぐれも必要だと思うけれど)共存のようなものではないかと感じます。
心が向く限り、足がそちらに向く限り、自分の環境が許すかぎり
自分のペースで、これからもゆるゆると気長に
復興に向けてのすべての笑顔が戻る時まで、それは続くのかな…。
この刹那、すべてに感謝をして。
ただ、ただ、ありがとうございます
by merosan_tonerico
| 2013-10-15 22:40
| 東日本大震災・Tsunami