44回目の月命日。
今日、2014年11月11日は 東日本大震災の44回目となる月命日です。
いろいろな想いがよぎりました。
今朝も朝の祈りをしました。
(自分なりに毎日、やっています。東北に向けても毎日、冥福のお祈りをしています)
いつものように時を過ごす。当たり前のような毎日が、当たり前でなく、有り難い日々の連続なのだと、
東北大震災の月命日では、とりわけ今でも心に深く染みます。
まだまだ状況が変わっていないところがたくさんあります。
テレビでは伝わってこなくても、東北に足を運ぶたび(諸事情により今年はめっきり訪問回数が減っていますが)
いろいろ考えさせられたり、感じてくるのです。が、そういう自分にも実生活があり、それらがしっかりと成り立った上でないと、やっている行いにも迷いや、戸惑い、時に不満が湧きおこる…、それも現実です。
また、今年は特に自然災害に見舞われている日本。いや、日本だけにとどまらない、世界中での自然災害。それらは、地球の叫び、そのもののように感じてなりません。
自分ができることは何なのか。ちっぽけな一人ひとりができることは
本当のところ、たかだか知れているのかもしれない。
けれど先日、明治神宮にて再上映されたガイアシンフォニーの中で伝えられていたメッセージ…
『一人ひとりができることは限られているようにみえても、一人ひとりがほんの些細なことでも行動にうつす・
意識を変えることが、世界、地球を救うことにつながるのです』
スクリーンの字幕で観た時、涙がぽろぽろとこぼれ落ちた、あの衝動。
そう、一人ひとりのできることはたかだか知れているかもしれない。
それでいい。それでも、一人ひとりがほんの少し意識を高めていけば、この世界は救われる。
自然災害が起きることは止められなくても、起こった後の復興を願う氣持ちや、
寄り添う氣持ち。全員が全員、たとえそばに行って抱きしめられなくても、心を寄せる事はけして無駄にはならないのだということ。その想いに変わりはなく、今も寄り添う気持ちは忘れていません。行ける時はこれからも何らかの形で足を運びます。
東北だけではない多くの地域で起こった自然災害(特に2014年)、心を寄せる行為、できることから始めよう、とする行動力は、いつもいつの時代も人間の心ひとつで行えることだと思います。
それが、たとえちっぽけに思えても、無駄な行為ではなのです。
なぜなら、すべてはつながっているから。
いろいろな想いがよぎりました。
2011年6月 震災後、自力で現地(宮城県気仙沼)へ。
初めてのボラセン(気仙沼KSV)。石巻、野蒜、東松島、etc.あれから何度、東北へと足を運んだだろう。
今朝も朝の祈りをしました。
(自分なりに毎日、やっています。東北に向けても毎日、冥福のお祈りをしています)
いつものように時を過ごす。当たり前のような毎日が、当たり前でなく、有り難い日々の連続なのだと、
東北大震災の月命日では、とりわけ今でも心に深く染みます。
まだまだ状況が変わっていないところがたくさんあります。
テレビでは伝わってこなくても、東北に足を運ぶたび(諸事情により今年はめっきり訪問回数が減っていますが)
いろいろ考えさせられたり、感じてくるのです。が、そういう自分にも実生活があり、それらがしっかりと成り立った上でないと、やっている行いにも迷いや、戸惑い、時に不満が湧きおこる…、それも現実です。
また、今年は特に自然災害に見舞われている日本。いや、日本だけにとどまらない、世界中での自然災害。それらは、地球の叫び、そのもののように感じてなりません。
自分ができることは何なのか。ちっぽけな一人ひとりができることは
本当のところ、たかだか知れているのかもしれない。
けれど先日、明治神宮にて再上映されたガイアシンフォニーの中で伝えられていたメッセージ…
『一人ひとりができることは限られているようにみえても、一人ひとりがほんの些細なことでも行動にうつす・
意識を変えることが、世界、地球を救うことにつながるのです』
スクリーンの字幕で観た時、涙がぽろぽろとこぼれ落ちた、あの衝動。
そう、一人ひとりのできることはたかだか知れているかもしれない。
それでいい。それでも、一人ひとりがほんの少し意識を高めていけば、この世界は救われる。
自然災害が起きることは止められなくても、起こった後の復興を願う氣持ちや、
寄り添う氣持ち。全員が全員、たとえそばに行って抱きしめられなくても、心を寄せる事はけして無駄にはならないのだということ。その想いに変わりはなく、今も寄り添う気持ちは忘れていません。行ける時はこれからも何らかの形で足を運びます。
東北だけではない多くの地域で起こった自然災害(特に2014年)、心を寄せる行為、できることから始めよう、とする行動力は、いつもいつの時代も人間の心ひとつで行えることだと思います。
それが、たとえちっぽけに思えても、無駄な行為ではなのです。
なぜなら、すべてはつながっているから。
2012年8月。気仙沼、本吉の蓮畑。おばあちゃんが育て、花を咲かせていた。
すべての人、ものにより多くの愛と光が降りそそぎますように
いつもありがとうございます
by merosan_tonerico
| 2014-11-11 22:35
| 東日本大震災・Tsunami