後篇) 「海べの森をつくろう会、植樹ボランティアに行ってきました。」
いつもブログに目を通していただき、ありがとうございます。
先週末(11月21日夜 横浜発[東京経由]-23日朝、横浜着)のボラバス活動内容についての後篇です。
前篇はこちら → 前篇) 「海べの森をつくろう会、植樹ボランティアに行ってきました。」
海に近い神社のすぐそば(敷地内かな)にそびえたっていた力強い樹。
何度も撮影しようとしては携帯がダメになり。最後に心の中でお願いをし、やっとの想いでシャッターが押せ、撮影できました。とても美しく、力強く、エネルギーを感じる樹でした。
『この樹に8人、あの日(311)につかまって助かった人がいた。そして流れてきた、あとの2人を皆が掴んで助け、10人をこの樹が助けたんだ。この他にも樹につかまって助かった人がたくさんいる。だから私は樹を植え、森をつくろうと活動しているんだょ。それ以上でも以下でもない。何世代あとにもまた来るかも知れない災害の時に、助けてくれるであろう樹や森を思って植える活動を続けているんだ』
心に響いた言葉だった。
年内の活動は今回で終了だそうだが、3000本の苗木は、今回植えられたことで、ひじょうに良かった、と喜んでいらっしゃいました。(よかった。来てよかった。少しの力であっても、役に立てたのなら、ここへ来たことは本望だ。)そう思った週末でした。
ーーーーー*ーーーーー*ーーーーー*ーーーーー*ーーーーー*ーーーーー
あとがきのように、いつも綴りますが、
現地へ行けない人もたくさんいます。行けるからえらい、行けないからえらくない、そんなジャッジは無意味だと私は思っています。実際、私の場合、今年は3回きり。年々、諸々の事情もあって行く頻度は減っていたりもします。が、たとえわたしのような活動状況に ない人の中にも、心はそこに、寄り添い、今なお、復興に向けてのアクションを、自分の地元にいながらにして、緩やかなペースで続けていらっしゃる方々もまだまだ数多くいらっしゃいます。現実の暮らしぶりや、復興の地域による格差など、問題はあるけれど、それでも多くの方々が復興地を想い、笑顔の多い地域社会が戻ってきますように、と願っています。
帰路に向かう途中のSAで聴いた緊急地震速報、長野の震度6弱。
白馬村のとなり村、南小谷村は私が学生の時にスキー居候バイトをした、思い出深い場所です。
糸魚川もすぐそば。また、聴きなれた、行きなれた場所で、大地震が起きました。
バスが止まった直後に、SAで流れたテロップを見、目を疑いましたが、それが現実なのだ、と。
もともと自然災害の多い日本。
そして世界規模でも年々起こっているおっきな災害事例など、あとをたたない地球の叫び。
調和をとるための摂理なのか、そんな風に理解するには人間はあまりにも脆いと思い知らされます。
海辺近くで暮らす自分にも全然、遠くで起こっていることとして思えないさまざまな出来事。
いま一度、自助、共助、公助についても学びを深め、時に人と人が手をつなぐ(ここではそれぞれの地元の人々同士)ということが必要となりつつある(すでになっている)時代なのだと思い知る週末でした。ひとりの一歩から。方法はそれぞれ、自分のできることから。(たとえば、時間や、お金がなくても祈る、という行為は毎日でも可能です。コンビニでの細かいおつりをペットボトルの寄付箱に入れて帰る事も可能です)
2011年6月に綴ったブログを最後に再度ご紹介します。
「心はどこについていますか?」
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
先週末(11月21日夜 横浜発[東京経由]-23日朝、横浜着)のボラバス活動内容についての後篇です。
前篇はこちら → 前篇) 「海べの森をつくろう会、植樹ボランティアに行ってきました。」
私達が作業をしていた場所からの光景
所々「かさ上げ」が進んでいる様子が伺えました。 『(苗木を植えている場所をさして)ここさ、高い場所に あっから、水はけもええし、
太陽さ、一日中照ってる場所だしな、木もでっかくなるょ。立派な森になる。』
一緒に作業していたあるお父さんの言葉でした。
三年経たずとも、きっとまた出向くと思います。
休憩時間に予想もしていなかった具だくさんのイモ煮汁をごちそうになりました。
美味しかった!ごちそうさまでしたっ
現地でのお友だちが昼時に(笑)駆けつけてくれ、一緒にお昼の巻。
散策をしながら、代表の話を聴く。
「海べに森をつくろう(会の名まえ)」と思った理由…。それは。
所々「かさ上げ」が進んでいる様子が伺えました。
太陽さ、一日中照ってる場所だしな、木もでっかくなるょ。立派な森になる。』
一緒に作業していたあるお父さんの言葉でした。
三年経たずとも、きっとまた出向くと思います。
美味しかった!ごちそうさまでしたっ
「海べに森をつくろう(会の名まえ)」と思った理由…。それは。
何度も撮影しようとしては携帯がダメになり。最後に心の中でお願いをし、やっとの想いでシャッターが押せ、撮影できました。とても美しく、力強く、エネルギーを感じる樹でした。
『この樹に8人、あの日(311)につかまって助かった人がいた。そして流れてきた、あとの2人を皆が掴んで助け、10人をこの樹が助けたんだ。この他にも樹につかまって助かった人がたくさんいる。だから私は樹を植え、森をつくろうと活動しているんだょ。それ以上でも以下でもない。何世代あとにもまた来るかも知れない災害の時に、助けてくれるであろう樹や森を思って植える活動を続けているんだ』
心に響いた言葉だった。
年内の活動は今回で終了だそうだが、3000本の苗木は、今回植えられたことで、ひじょうに良かった、と喜んでいらっしゃいました。(よかった。来てよかった。少しの力であっても、役に立てたのなら、ここへ来たことは本望だ。)そう思った週末でした。
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あとがきのように、いつも綴りますが、
現地へ行けない人もたくさんいます。行けるからえらい、行けないからえらくない、そんなジャッジは無意味だと私は思っています。実際、私の場合、今年は3回きり。年々、諸々の事情もあって行く頻度は減っていたりもします。が、たとえわたしのような活動状況に ない人の中にも、心はそこに、寄り添い、今なお、復興に向けてのアクションを、自分の地元にいながらにして、緩やかなペースで続けていらっしゃる方々もまだまだ数多くいらっしゃいます。現実の暮らしぶりや、復興の地域による格差など、問題はあるけれど、それでも多くの方々が復興地を想い、笑顔の多い地域社会が戻ってきますように、と願っています。
帰路に向かう途中のSAで聴いた緊急地震速報、長野の震度6弱。
白馬村のとなり村、南小谷村は私が学生の時にスキー居候バイトをした、思い出深い場所です。
糸魚川もすぐそば。また、聴きなれた、行きなれた場所で、大地震が起きました。
バスが止まった直後に、SAで流れたテロップを見、目を疑いましたが、それが現実なのだ、と。
もともと自然災害の多い日本。
そして世界規模でも年々起こっているおっきな災害事例など、あとをたたない地球の叫び。
調和をとるための摂理なのか、そんな風に理解するには人間はあまりにも脆いと思い知らされます。
海辺近くで暮らす自分にも全然、遠くで起こっていることとして思えないさまざまな出来事。
いま一度、自助、共助、公助についても学びを深め、時に人と人が手をつなぐ(ここではそれぞれの地元の人々同士)ということが必要となりつつある(すでになっている)時代なのだと思い知る週末でした。ひとりの一歩から。方法はそれぞれ、自分のできることから。(たとえば、時間や、お金がなくても祈る、という行為は毎日でも可能です。コンビニでの細かいおつりをペットボトルの寄付箱に入れて帰る事も可能です)
2011年6月に綴ったブログを最後に再度ご紹介します。
「心はどこについていますか?」
より多くの笑顔がみられますように。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
湘南ゆるゆるトネリコじかん
いつもありがとうございます
いつもありがとうございます
by merosan_tonerico
| 2014-11-25 21:00
| 東日本大震災・Tsunami